「声の綱」
この作品は現代のインターネット社会を予言した作品としてよく取り上げられます。
”電話回線を通して語られる「秘密、計画、夢、悩み、たくらみ…」それらの情報を集めた、電話回線の一番奥に潜む得体の知れない何者かが何かをの目的として動きだした。”
このような設定に僕らの想像が膨らむ。話の展開にワクワクして読み続けるのです。
予言には興味がありません。
小説家だって、今まで誰も読んだことのない小説を書きたいだけ、おもしろい話を書きたいだけなんだと思います。
優れたSF作家なら、様々な情報を分析し組み立て小説の題材として練り上げるのはお手のものだし、その結果を何十年か後に読んだ読者が「まるで今を予見している」と騒ぎだすこともはあり得ることだと思います。
確かにあの当時は、インターネットなど霧の彼方の夢物語だった。
電話回線の端末がパソコンやスマホなのかダイヤル式の電話機なのかの違いはありますが、確かにここまでくると「未来を見てきたの?」と思いたくなるのも頷けますが。
星新一は短編が得意な作家です。
本書は、その作家が仕上げた数少ない長編小説です。
”12階建てのマンションで起きる12の別々の事件を一つにまとめて長編小説を作り上げるという手法です。
事件の経過も1月から始まり12月に収まる。
それぞれの階でそれぞれの奇妙な事件が起きます。
事件の主は、目的は…”
50年前に比べたら現代のコンピューターは、物凄い情報量を物凄いスピードで処理をします。
さらには、自分で情報を収集し自分で何かを作り出すまでに進化しました。
昨年、日本経済新聞社主催の文学賞「星新一賞」に、初めてAIを使って執筆した小説が入選したとの発表がありました。
執筆者は、AIが執筆したあらすじを基に、執筆や編集をAIとの協同作業のうえで書き上げたと言います。
一般部門優秀賞「あなたはそこにいますか?」作者は葦沢かもめさんという方です。
令和4年の応募2603編のうちAIとの協同で執筆した作品は114編だったといいます。(このコンテストではAIを使って執筆した作品も応募可としています)
AIとの共同執筆作品は年々増えており、コンピューターの進歩はめざましいものがあります。
コンピューターが自分の意思で様々な情報を収集し、急速に人間の知能を超えて「神」に近づいていく。
最終的に視界から消えて、稲妻が都市のあちこちを射抜き、山が崩れ落ち…
星新一は「神」や「悪魔」を題材にした物語を得意としていました。
人間はいつから心が芽生えるのだろうか。
上図のように胎児は成長の途中までは、カメやニワトリと人間はほとんど変わりません。
でも、生まれ出た時はすでに人間の表情を持っています。
さらに経験を積むに従い人間らしくなっていくのですが、人間としての「こころ」はすでに胎内にいるときから持っていると思います。
コンピューターに情報を詰め込むことにより、神に近づいていくSF小説のように、人間も学習によりさらに人間らしくなります。
それでは、変な言い方ですが「肉の塊である胎児」、その胎児に「こころ」はどういうタイミングで宿るのだろうか。
それは、大量の情報の集積の結果なのか、または宗教的な意味合いでの「魂が肉体に乗りこんだ」時なのだろうか。
話は横道にそれます。
本書の解説からの引用です。
「親愛なる○○○へ。いま、とても忙しいので短い手紙を書くことができない。長くなると思うが勘弁してくれたまえ…」
これは、イギリスの政治家で作家のウィンストン・チャーチルが友人に宛てた手紙です。
「長く書くのは易しく、短く書くのは難しい。」
星新一はその難しいことに取り組んでおびただしい数のショートショートを書き続けた。(声の綱 解説より)
しかし、旧態依然とした日本の文壇と日本人は、長く重苦しく難解な文章を「ブンガク」だと崇め奉ります。
星新一は、生まれる時代と場所を間違えたのだろう。
星先生はとても凝り性で、一時期、小松左京が上京すると、決まってイタリア料理店でピザを食べ、キャンティというイタリアの酒を飲んだといいます。ピザのハシゴもしていたそうです。
小松左京がイタリア文学を専攻していたというのがその理由だそうです。
理由なんて何でも良かったのだろう。それにしてもなんて楽しげな2人だろう。