昭和天皇の「終戦の詔」と、この「日本沈没」は似ている。
焼け野原の東京、原爆を投下された長崎、広島。
戦死者は300万人を優に超え、全国の殆どの家系に戦死者がおり、日本人は失望のどん底にひれ伏していた。
これからの日本人、連合国軍に占領統治され、どんな苦難が待ち受けているのか、日本の将来は、子供たちの未来はいったい…
連合国のポツダム宣言を受諾し、戦いを終わらせることを、天皇が国民に向け直接語りました。
(終戦の詔)
日本人が天皇の生の声(玉音)を聞いたのはこれが初めてのことかもしれない。
小松左京の「日本沈没」では、祖国を失うという悲劇を初めて経験する日本人を描いています。
祖国を失い、全世界に散りじりになり、これからどんな扱いを受けるのか、どんな苦難が待ち受けているのか。
「…準備が遅れて…もっとたくさんの人に、日本と…この島といっしょに…死んでもらいたかった…
海外に逃れて、これから日本人が…味わわねばならない、辛酸のことを考えると…」
と田所博士は泣きながら叫ぶ。
小松左京のSF作家としての原点には、大東亜戦争がありました。
この戦争を題材にした作品も数多くあります。
「日本沈没」は、当時の最新の科学的理論を駆使して日本を沈没させることに面白さにあると、僕は思っていました。
『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…』
「もう力尽きた。堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、ここに降伏を宣言する」と解釈していました。
ところがそうじゃないんですね。
敗戦を国民に詫び、欧米諸国の植民地支配からの解放を達成できなかったことをアジア諸国に詫び「今後、わが国の受ける苦難は…尋常なものではない…時の運命の赴くところにより『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…』国をあげて、一つの家族のように…この思いを子孫に伝えて…先の長い復興の道を思い…」
「日本沈没」の最後には第一部完とあります。
そして2006年に「日本沈没」の第二部を谷甲州との共著として刊行しました。
第二部では、祖国を失った日本民族の苦難を描いたのかなと想像していますが、まだ読んでいません。
小松左京は2011年お亡くなりになられました。
第一部を書きあげた後、第二部の構想がありましたが、中々実現せずに小松左京は年老いてしまい、結局は谷甲州たちの力を借りて何とか書き上げたという事です。
第二部では「日本人民族の流亡記」を書くつもりだった、と語っていました。
本は購入したのですが、まだ読めずにいます。