昭和36年、ガガーリンの有人飛行が成功し「地球は青かった」という言葉とともに宇宙開発時代が幕を開けました。
同じくこの年、星新一の「ボッコちゃん」「ようこそ地球さん」「悪魔のいる天国」が出版されました。
優しく、醒めた、残酷な物語。
この3冊の短編集により、日本SFは本格的に始動しました。
星新一のショートショートは、若者を中心に幅広い年齢層の読者に支持されました。
ところが、旧態依然の日本の文壇は「感情という名の重箱の、その四隅を箸でつついたような」純文学こそ『文学』と捉えているため、星新一の作品を正しく評価するセンスはなかったようです。
「SFは荒唐無稽な空想小説で、文学ではない」というのが、その頃の文壇の評価でした。
どんな高尚に思える作品だろうと、本来、小説はすべて「荒唐無稽な空想の産物」ではないのか。
その空想の産物が、人生の機微を描き、その空想の産物が、人を感動させるところに素晴らしさがあるのだと僕は思います。