晩年の作品は、なぜだろうか。
骨と皮といえるほどに削れるものは削ってしまいました。
まさに「枯れた作品」です。
どうしてここまで。
あらすじと小説のギリギリのところで作品を作り上げているといったら言い過ぎだろうか。
小説としてここまで削ってしまっては、作品としての魅力も半減してしまいます。そんなことはプロですから百も承知のことでしょう。
不可解なことです。
僕は考えました。
自分の命を削って書き上げた作品群を未来に残す方法は、これしかなかったのではないだろうかと。
例えば、作品を映像化するのであれば「その時代に合った肉付けをしてご利用ください」ということなのではないだろうか。
作品をいつまでも古びずに残すために、そして改稿の必要もない、苦肉の策だったのではないだろうか。
などと考えてみました。
でなければ、あの作風の変貌は理解できません。