幻想文学 夏号

「幻想文学」
あまり馴染みのない言葉です。

1985年(昭和60年)発行
img653

幻想文学というジャンルについては詳しくないのですが、すべての文学は幻想の産物だとは思います。
SFは幻想だし、太宰も川端も村上春樹も幻想を書き記している。

今の話は狭義の解釈であり、この書籍で言う幻想文学とはそんなことではないだろう。当たり前です。

この号では幻想文学の視点から日本SFを捉え直すとあり、巻頭インタビューで、筒井康隆の「虚構船団」を取り上げています。

虚構船団の第一章では、文房具たち登場人物の紹介。第二章で、イタチ族の歴史を書き、そしてそれらを基に第三章に突入した読者を面白がらせる、という構成になっていますが、第一章、第二章とも退屈で面白くないと思いつつ第三章に突入してしまった読者は、やはり第三章も面白くない。
結果、面白くない失敗作という評価をされたようだと、筒井康隆本人は分析しています。
第三章で読者を面白がらせることができなかったという意味では失敗作品かもしれないと答えています。

ただ、今回は読者を面白がらせるために書いたのではなく、自分が書きたいことを書いたんだとも言っています。

読者が小説を面白く読むためには、文学の歴史やジャンルにおける文学の構成、文中に潜んでいる仕掛けの数々を面白がるだけの知識も必要なのだろう。

初期の作品においては、読み進めるだけで抱腹絶倒の作品が当たり前だった筒井作品も、徐々に難解なものが増えてきました。
これは星新一作品にも言えることですが、所謂、芸術的表現作品はこのような方向性があるようです。
受け身ではない読書態度が求められ、僕たちもボーッとしてはいられない。

僕は、置いてけぼりにされてしまうのはイヤなので必死で食らいついてゆきます。