星新一と文学賞

生涯、文学賞には縁がなかった星新一についての話です。

超一流の売れっ子作家であり、日本SFのジャンルを確立した重鎮であり、ショートショートという文学の一形態を完成させた星新一は、その業績からは信じられないのですが、文学賞から一番遠い存在でした。

星新一本人は、文学賞についてどのように考えていたのだろうか。
これは勿論、本人にしかその心の内は知り得ないのですが、星新一について書かれた二冊の評論集から探ってみようと思います。

先ずはそのひとつ、最相葉月著「星新一 1001話をつくった人」から。

2010年(平成22年)文庫版初版
img673

最相葉月の評論集は、星新一の家族、親類、友人、SFほか文壇関係者に対する徹底した取材と、残されたアイデアの断片メモなど豊富な資料をもとに星新一の生涯について書き上げられました。

昭和30年代、星新一は直木賞候補になりました。しかし、この年の受賞者は黒岩重吾と寺内大吉で、星の候補作品はほとんど問題にされませんでした。

星は「一番先に落ちるのは自分だ。選考委員には自分の作品を理解できる人はひとりもいない。落選確実なのは自分だ。」と話していました。

選考委員の一人、源氏鶏太の評は、
「星新一のショートショートは実に面白い。しかし、文学的な面白さとは思われなかった。」さらには「人間が書けていなかった。」と。

落胆した星は、妻に「じゃあ、源氏さんの小説が人間書けてるっていうのかなぁ。」と愚痴をこぼさずにはいられなかったといいます。

同じく直木賞の落選経験のある筒井康隆は、その経験を「大いなる助走」という作品にして、選考委員を殺しまくりました。面白い作家です。
星新一は対照的に静かな愚痴ですね。

筒井も直木賞候補の評では、その才能が高く認められてはいたが「直木賞は文学作品にあげたい。」というこれも源氏鶏太の反対意見もあり、落選しています。
あの当時、選考委員の彼らにとって、SFは文学ではなかったのだろう。

星新一の作品は、子供でも読める。そして、大人だって読める。
だから子供向けの「戯れ言」などと思われるのかもしれない。

ところで、星新一に平和について次のようなコメントがあります。

「戦争反対や平和を、ただのムードで済まさず、あらゆる知見を総合して平和を研究するべきです。」

しかし、その結果として出てくる世界平和の状態は、決して安易なものではないだろう。各人が予想もしなかった、かなりの精神的な物質的な負担が要求されるかもしれない。おそらく戦争よりはるかに難事業であろう。」

その二つを比べて人類は『それでも平和を選択すると断言するかどうか』…

星新一が取るこの手法「価値の相対化」
戦争が悪で平和が正義と決めつけるのではなく、その価値を相対化して、多角度からの検証をし答を導きだします。その結果として、戦争のある世界を人類は選ぶかもしれないと。

ショートショート作品もそのような考察の上、産み出していると考えれば、その作品を彼らは余りにも軽いものとしかみていない。
人間のドロドロした部分を書くことだけが「人間を書くこと」なのだろうか。
人間が書けていないなどと、選考委員はよく言えたものだ、と僕は思います。

ある芥川賞作家から「星さんみたいに本が売れるにはどうしたらいいんですか。」と問われ「あなたねぇ、賞を取るか、本を売るかどちらかにしてくださいよ。」と星は答えたといいます。

このころから星新一の本は文庫化が進み、売れ行きもとても順調だったといいます。

「僕は星雲賞もらえないの。」と星に問われた柴野拓美は「ブラッドベリもヒューゴー賞もらってないよ。」と答えたといいます。

星新一のファン層が変化してきました。デビュー当時は大学生や社会人が熱烈な読者でした。

「星新一の作品が分からないやつはインテリじゃない。」とまで言われていたのですが、学校教科書に作品が掲載されるようになると中高生にファン層が増えました。

すると子供向けの小説だというイメージが広がり、大人のファンは離れていきました。

※「星雲賞」とはSFファンの投票で受賞者が決まります。「ヒューゴー賞」とはアメリカの星雲賞みたいなもので、SF界の大御所ブラッドベリがもらうような賞ではないのだろう。

日本人の文学や芸術についての評価は現代でも同じです。所詮は短いものよりも長い作品、子供よりも大人が読むもの、面白いものよりも深刻なもの。いつだって表面しか見ていないと言ったら言い過ぎだろうか。

次は、浅羽通明「星新一の思想 予見・冷笑・賢慮の人」
です。

この評論は、主に作品の中から浮かびあがる星新一像、その作品についての評論です。

2021年(令和3年)初版

img674

「面白くはなくとも、文学性がある。面白くないというのは、文学性が理解できないからだといった「文学性」ふりかざしは、ダメな作品を自己正当化する高慢な弁明でしかない。」

これが星新一の「文学性」へ逃げる甘さへの戒めです。

先に取り上げた最相葉月の評伝では、星新一の「文学賞への渇望や恨みつらみ」を書いていました。

本当にそうだったのだろうか。というのが、朝羽通明の評伝です。

若き星新一の内には「文学賞なる不思議な制度へ向けた痛烈な批判」そして『文学性』という基準で決定される文学賞への疑問」があったのではないだろうか。

つまり、星新一が欲しかったのは自己の作品への「文学的評価」だったという最相葉月の見解に対し、晩年、星新一が最も好んだ肩書きが「寓話作家」であったという香代子夫人の証言などから、小説などより遥かに長く広いスケールで読み語り継がれるアイデアとプロットに対する賞賛を欲していたのではないかというのが朝羽氏の見解です。

では寓話作
家とは何なのか、という方向で論は進められて行きます。

ショートショートコンテストの選評でも、星は決してこの「文学的」という一語を肯定的には使わなかったといいます。

「そんなものより、読者が面白がってくれるように。より面白い作品を。」とだけを念じて創作を続けてきた。

つまりは、文学賞などよりも、より売れる作品を、読者に喜んでもらえる作品作りを選んだということだろうか。

何れにしても、星新一本人の胸の内はいくら探ろうと答えを見つけられません。

文学賞の対象にならないのは、日本の文壇にとって、星新一の作品が「文学」の範疇から外れているためとも言えるし、今まで存在しなかった「ショートショート」という小説の新たな形式を、消化し切れなかった日本の閉鎖的な文化にもあるのかもしれないが、命を切り刻んで生み出した千編以上の作品群に対して何らかの評価をしえなかった文壇やSF界に僕は失望しています。