冬きたりなば 星新一

アリは働き者。
夏の間、みんなが海や山、海外旅行と遊び呆けているときにもアリたちは一生懸命働きます。

遊び人の代表格はキリギリス。
生まれながらの自由人、大好きなヴァイオリンを弾きながら、歌い、踊り、勝手気ままな人生を送っています。

たぶんキリギリス
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世間の人は自分のことを棚に上げ、キリギリスの人生を否定します。
「働かざるもの食うべからず」という古の言葉があるように、苦労あっての人生とばかりに、キリギリスは批判されるのです。

そしてイソップ寓話の題材にされました。
世の中の常識に従って、働き者のアリは善で、人のことなど気にしないで好き勝手に生きるキリギリスは悪として…だからキリギリスは助けてもらえず死んでいったのかな。

ついでなのでググってみたら、イソップは奴隷だったとあります。
じゃ、アリはイソップか…

でも、そんな風に考えると途端に物語は色褪せてくる。
キリギリスはキリギリスだからキリギリスとして物語の中で踊って欲しい。それでいい。
奴隷の身であった自分をアリになぞらえ、支配者達をキリギリスとしてやっつけた、なんて物語はつまらないではないか。

誰かが書いていました。
「もし冬が来なかったら、夏が続いていたら、キリギリスはあんなに惨めだっただろうか。」

このような発想を、僕ら真面目な大人は中々思い浮かばないものです。
言ってみれば、寓話はその常識をうまく使って物語を成立させているんですね。

そして、今回の超短編「冬きたりなば」もそんな常識を上手く使ったSFの傑作です。

このタイトルの元は「冬きたりなば春遠からじ」という言葉です。
綺麗な日本語です。

掲載は「宇宙のあいさつ」
ハヤカワ書房版です
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NASAの宇宙服を着た星新一氏。
なぜだ?

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超短編「冬きたりなば」(ハヤカワ文庫版)
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SFは一般社会の常識の裏側を覗き見ます。キリギリスの代わりにどこかの星の高等人類に置き換えて真実を浮かび上がらせます。

宇宙人は、僕らとは育ちが違う、環境が違う、祖先が違う。だから価値観や一般常識が地球人とは違う。

ある時、太陽は地球の100倍の大きさがあることに驚いていたら、夜空に輝くベテルギウスは、太陽の1000倍の大きさがあるといいます。
ちょっと訳が分からない。

もし、そんな偉大なベテルギウスに地球のような惑星があり、文明が発達していたとしたら、一体どんな常識で彼らは生きているのだろうか。

自分のおかしさに気づいていない変テコな地球人に、ベテルギウス系のベテルギウス人を素材に物語を紡いでいったらどんな世界が広がるのか。そのようにSFや寓話が生まれるのだろう。

SF作家星新一が寓話の世界に惹かれたのは自然ななりゆきとわかります。
この「冬きたりなば」という作品も宇宙のどこかの環境の違う惑星での「ファーストコンタクト」を題材にしたSFです。