ドラマ化について

原作が短編だからドラマ化にあたっても短くする。
この考えを改めたら良いのではないだろうか。

星新一の作品は、中編小説のアイデアをギューッと圧縮して、言葉を選び、不要なものを切り捨て、氏特有の文体で魅力的なショートショートに書き上げていると僕は思っています。

「ようこそ地球さん」表紙から
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先日もテレビで放映された「不思議な不思議な短編ドラマ」という15分程度の作品についてですか、
「ボッコちゃん」「生活維持省」「地球から来た男」など星新一の名作を映像化していましたが、評価はどうなのだろうか。

僕のように、作品を人生の説目で何度も読み返し、その都度、新たな感動を覚えてきた読者にとっては、どうしても違和感があり「原作はもっと深く、面白いのに。」という思いが強くあります。
原作を読んだことなく「一見さん」的に番組を見た視聴者には、何か物足りなく、思わせぶりな演技や雰囲気で伝えようとするちょっと風変わりなドラマと感じるのではないだろうか。

これは、言葉で伝える小説と視聴覚で楽しむテレビドラマの違いでもあり、ドラマ化の限界なのだろう。

小学生の頃、「ドラえもん」がテレビアニメ化された第1回放送の感想を今でも覚えています。それは「ドラえもんはこんな声じゃない。」でした。

僕らは、小説を読みながら自分のイメージを肉付けし、自分の物語の世界を作り上げています。だから、ドラマ化にあたってはそれを上回る肉付け、物語の設定が必要ではないだろうか。

短編ドラマではなく、1時間程度のの長さのドラマに仕上げないと、小説とは表現方法が違うのだから、無理があるのではないだろうか。

いっそのこと「物語の構成は原作とは大きくかけ離れています。」とのテロップを流し、自由に肉付けして作ったほうが、僕らは安心して作品を楽しめるのかもしれません。