駅のホームで背中を勢いよく押され、危うく落ちそうになる。
誰かが意図的に…直感的に「あいつだ」と、あの男に違いないと、追いかけ捕まえて問いかける。
「やい、なぜ、おれを突き落とそうとしたのだ」
そいつが言うには、見知らぬ二人の男から別々の時期に頼まれた。二人の関係性はなかったようだという。
そこから彼を殺そうと企む「犯人捜し」が始まるミステリー…
いつもながら巧いなぁと感心させられる。これも一つのアイデアを基に物語を練り上げた秀作で、結末に「ゾッと」させる筆力は素晴らしい。
小説を読まなくても、書物を手にしなくても僕らは生きていくうえで何の不都合もありません。
音楽を聴かなくても芸術に接していなくても、なんてことなく人生は過ぎていきます。
仕事仲間に次のような話をしたことがあります。
「ある市営墓地の担当者から聞いた話ですが、身寄りのない仏さんの骨壺を納めるカロートを定期的に点検すると、何故かキッチリと整然と並べたはずの骨壺が倒れたり動いたりしているんだって。」
とこんな話をすると「こまるんだよなぁ…そんな話を広めるのは」
「霊の仕業」そんな話を信じるなよ、みたいな反応をする。
この人はつまらない、退屈な人生を送っていると僕は思う。
僕は霊の存在を肯定的に話したわけではなく、面白いんじゃないかな、程度の話題なんですが、その人は嫌みたいでした。
仕事もでき、賢いのは分かるけど「つまらない人生」を生きているとしか思えない。
学校の教科書が教えてくれなかったことは、きっとこの世にも存在しないことなのだろう。
小説も音楽も怪談も冗談も、僕にとっては人生をゆたかに楽しくしてくれるアイテムです。
それを持たない、楽しまないなんて、つまらない人生だ。
星新一の千篇を越える作品群を手にできる僕は、それだけでゆたかな幸せ者です。
それを更に重ねて噛みしめるために、このブログを書いています。
ブログの読者は僕を含めて数人しかいないけど。まぁ、いいか。