本のタイトルは「人造美人」
言わずと知れた名作「ボッコちゃん」の単行本版です。
そして星新一にとって初めてのショートショート集です。
文庫版を発売するにあたり、本のタイトルを「ボッコちゃん」に改めました。
本の装丁は怪しげな都会の夜の裏通り。人知れずこの一角で事件が進行している……
この雰囲気、世界観が僕にとっての星新一です。
氏の作品群は亡くなった後も再版が重ねられ驚異的ベストセラーです。
ただ、徐々にその装丁が子供向けになっていくことが僕にはとても残念なところです。
誰かの評論にあったのですが、SFという小説が世に出始めた頃、星氏の書籍を大学生たちはまるで哲学本でもあるかのようにポケットに差し込んで持ち歩いていたといいます。
本の表紙や文字の大きさで作品の質は変わりはしないのですが、どうしても「子供向け」という、何か一段低い位置付けに見えてしまうのは僕だけでしょうか。
日本SF文学創成期の第一人者であり、ショートショートという形式の小説を完成させた偉大な功績を思えば、その評価はあまりにも低すぎると思います。
手にした賞は「日本推理作家協会賞」だけです。
亡くなった後にその業績を称え「日本SF大賞特別賞」を贈っているが、それじゃ本人は報われないよ。
なぜ元気なうちにあげられなかったのかなぁ!
SF界は何をしていたんだろう。
SF以外の文壇の人たちは既成概念で判断しますから、この新しいジャンルであるショートショートを「文学」とは認めない、という人もいました。まぁ、そうでしょう。
でも、SFの世界では当初、プロとしての作家は星新一だけでした。
星新一が切り開いた世界に、後からたくさんの才能ある作家たちが集まって来たことを思えば、SF大賞の第一号は星新一しかいないではないか。不思議であり残念でもあります。
文庫版(昭和46年初版)
真鍋博氏のこのデザインもいいですね。
そして次に、どうして文庫本のタイトルは「ボッコちゃん」で、単行本では「人造美人」で出版されたのかという謎があります。
これも何かのエッセイにあるのですが、この当時「ダッコちゃん」という、腕に挟んであそぶ人形が日本中大ブームでした。
出版にあたりブームにあやかったと思われたくないからと「人造美人」というタイトルにしたといいます。
そして、文庫化される頃にはダッコちゃんブームもおさまったため「ボッコちゃん」として出版したのだということです。
でも、実はボッコちゃんのタイトルのほうがダッコちゃんよりも早く決まっていたそうです。
なんでこんなのが流行ったのかな。
こちらの方が謎が深い。
そんな文庫本の「ボッコちゃん」も昭和46年初版(1971年)から数え、2022年時点で、なんと129刷となりました。
書店を覗けばいまだに殆どの作品を手に入れることができる。
これは希有なことです。
小松左京の作品はなかなか見つけることができません。
現役の筒井康隆でさえ人気作品しか残っていません。
これこそが星新一の凄いところ。それだけ本が売れているという証です。
初期作品を読みかえしても全然古びていない、時代を感じさせない。
作品の力は健在です。
星先生は晩年、作品が古びないように度々手直しをしていたといいます。
古くなった表現を現代でも違和感のない言葉に差し替える作業です。
ボッコちゃんを例にとると、
「のれんに腕押しのようで」を
「いつも、もう少しという感じで」というように。
技術革新により、
電話のダイアルを回す
腕時計を巻く(ゼンマイ)
チャンネル争い(テレビ)
これらは死語になりつつあります。
これを直していたらきりがないです。
でも、そんなことをしなくても星新一の作品は未だに古びない素晴らしい作品ばかりです。
星新一の清書前の下書き原稿は、小さな文字でビッシリと書き綴るのが特徴です。
これは余談ですが、その「ボッコちゃん」の邪魔をした「ダッコちゃん」について、発売元のタカラトミーの代表取締役の後日談がありました。
” あのビニール人形が流行したきっかけは偶然です。相撲中継の客席に腕に人形をくっつけた女性がいた。あれは何だと。
暫くしてあの人形を腕に付けて銀座を歩く女性の姿が増えた。”
” なぜあんな物が流行したのかわからない”
ちなみにダッコちゃんの正式名称は「ウインキー」だそうです。
代表取締役が語っていました。
これで3つ目の謎が解けました。