手当の航跡 医学史講義 星新一

病気の概念や治療とは、など医学が歩んできた歴史を対談形式でレクチャーしています。先生は中川米造教授(大阪大学医学部)です。

1980年(昭和55年)初版
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星新一の母方の祖父は小金井良清、祖母は森鴎外の妹。星新一の父、星一氏は星製薬(株)の創業者である。やたらと医学界と縁があります。
だからこの講義が行われたわけではないとは思いますが。

例えば、死の判断については、肺や心臓は機械で動かすことができ、脳波でさえもある種の物質(薬品)を投与するとフラットな波形を描く。生と死の境界の難しさです。

対談当時、1979年の平均寿命がでていました。

男性73.46歳、女性78.89歳
驚きです。
2022年は、
男性81.49歳、女性87.60歳
1891年は、
男性42.8歳、女性44.3 歳
明治24年のことで、更なる驚きです。 

随分延びたものです。平均寿命に特に影響するのは、ゼロ歳児から3歳児の寿命の伸びだと言っています。

我が家の戸籍を調べた際にも、明治時代には、生後1ヶ月程度で亡くなった赤ちゃんがたくさんいました。
反面、80歳すぎのお爺さんもいました。

つまり平均寿命が延びたということは、子供が死ななくなったわけで、年寄りが死ななくなったことはあまり影響がないそうです。
平均寿命が42歳の頃にも年寄りは沢山いましたからね。

余談ですが、星新一氏、中川米造教授ともに71歳でこの世を去っています。まだまだ若かったですね。

星新一の小説によくでてくるツボの話や精神医学(昔変人いま病人)も。
ツボなどの経絡は一人の天才の発見なのか。という星の問いに、たくさんの人の経験上の積み重ねだと答えています。

医学を学び始めた頃、「人間」がでてこないことに違和感を覚えたと教授は言います。
例えは違うかも知れませんが、患者の痛みや不安感を考えない、どこか冷たい医者が多いと僕は感じますが、原因はそこにあるのかもしれません。

「医は仁術なり」という思想は、江戸時代の医療の基盤であったと言いますが、考えさせられます。