これは書籍の紹介ではありません。
SFに出会う前、遠藤周作、井上ひさしなど純文学系の小説を読んでいた僕が、星新一と筒井康隆作品に出会ったがため、まだ未完成だった中学生の脳細胞を、SFがコントロールし始めました。
物事を見る場合の立ち位置、視点の違いについて、前にも書いたのですが、純文学的思考は、「僕はこんなに愚かな人間で社会的に不適合者で、妻にも家族や社会にも申し訳ない」
SF脳の僕は「自分は自分である。社会のある事柄について、みんなはこの様に見てこの様に判断しているようだが、別な角度からこんなふうに眺めてみたら、僕なら結論はこのようになる」
そのように中学生時代からSFに支配された僕は、世間の常識から少し外れた答を出す癖が身についてしまいました。
そして面白がってもいます。
そのひねくれたように見えてしまうこの思考で、親戚縁者、友人、何人僕から離れていったことか…
それは大袈裟ですが、何人かはイヤな思いをしていると最近気付いて、反省もしています。
でも、なかなかやめられないので、そんな会話をする相手は選ばなければと考えています。
功罪の罪を書きました。
では、功はと言えば、これはただ一つ、生きることが少し楽しくなりました。