三十年後 星一

人にはみな使命というものがあり、すべきことを背負って生まれてくると還暦を過ぎた僕はそんな感じに思っています。

(復刻版)
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今回、取り上げる「三十年後」という小説は、星一氏、つまり星新一の父君が星製薬のPRのために書き上げた小説です。しかも立派なSF小説なのです。

日本人作家による最初のSF小説は海野十三の「電気風呂の怪死事件」という作品だそうで、これが昭和3年の発表です。
この海野十三が日本最初のSF作家と言われていますが、星一著「三十年後」は大正7年ですから、海野十三より10年ほど遡ることになります。

日本最初のSF小説は、実は星新一の父親の星一だったということになりそうです。
しかもとても良くできたSF小説に仕上がっているのです。
出来すぎだと思いませんか。

星一氏が20歳でアメリカに留学した際、野口英世と知り合い、生涯の友となったという。

星一(左)と野口英世
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(世田谷文学館星新一展より)

これが星製薬の看板です。
今でも時々見かけることがありますが、印象に残るデザインです。
星親一(本名)の名前はこの「親切第一」という会社の標語から取ったそうです。
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筒井康隆の短編集に「筒井康隆の作り方」という戯曲のような愉快な作品があります。

作中、そろそろかわった小説家を世に出そうと、歴史家や心理学者などが集まってあーだこーだとアイディアを出しあいます。父を選び、母を選び、生まれる時代や少年期に疎開先の百姓の子からイジメにあうようにしようとか、美男子が良いとか、音楽や美術の才能もある程度あったほうがよいだろう…などと。

30年後(星一著)として掲載されたSFマガジン
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星新一の経歴をみると正に「星新一の作り方」というシナリオがあったに違いないと思いたくなる。
そんな経歴です。 

父は星製薬の創業者星一、その類い希なる発想力で一代にして日本一の製薬会社に育て上げました。
その御曹司として生まれ、何不自由なく育ちました。
SF作家になってからも、仲間からはその品の良さからか、お殿様などと呼ばれることもあったようです。

母方の祖父は人類学者で解剖学者の小金井良精。
祖母は小金井喜美子。この方は歌人、随筆家、翻訳家で兄が文豪の森鴎外とあり、こちらもちょっと普通の人達ではない。

幼年期はこの祖父母と同居していたらしく、昼は祖父の部屋にある人体模型で遊び、夜は祖母が、作った歌を声に出し読み上げているのを子守唄として育ったと言います。

サラブレッドというか、物凄いミックスというか、様々なもの凄い才能の渦巻く中から生まれてきたのが星新一と言えます。

大学院の時、父が急死し二代目社長を継ぐことになりました。
そこで、今までとは打って変わって大変な生活が始まります。
債権者からの取り立てに、家の中に閉じこもり去るのを待ったり、借金の返済を懇願する文章を書いたりして、様々な世の中の醜い部分や人の心の裏側を見ることになりました。

このような経験は小説を書くには、決してマイナスにはなっていなかったはず。
小説家としては重要な要因で、世の中をねじれた視点で眺める素養ができあがりました。

そして「日本空飛ぶ円盤研究会」入会、同人誌「宇宙塵」で作品を発表と徐々にSFの世界の運命の糸に手繰り寄せられてゆきます。

「筒井康隆の作り方」を読み返しましたが、その作品と比べても、これは明らかに誰かの手により作為的に運命付けられて「SF作家星新一」が作られていったのではないかと疑いたくなるほどです。
この「三十年後」は、もしかしたら星新一がタイムマシーンで過去に遡り父の名前で書き上げたのかもしれない。

「三十年後」は、星新一誕生の8年前の発表です。(オリジナル版)
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星一氏については、星新一の著書により詳しい。

「明治・父・アメリカ」
福島県の農家に生まれ、苦労してアメリカの大学を卒業し、31歳で帰国するまでの伝記であり、数々のエピソードが面白い。

「人民は弱し官吏は強し」
星製薬を創業し、カリスマ社長のもと事業は急成長するが、徹底した官僚による妨害の末に会社経営が悪化していく様を描いています。

ここに描かれているのは人並み外れた努力、そして発想、アイディアの数々、それはまさしく星新一そのものです。

なお、オリジナル版の「三十年後」は星一の原案で、文章は江見水蔭という小説家だそうです。
今回、復刻するにあたり、SFマガジン(1968年版)に掲載された星新一の要約版が読みやすく面白かったのでこちらを単行本化したといいます。

星新一によると、
” SFマガジンに要約版を掲載するにあたり、オリジナル版に「不許複製」と大きく書いてあったが、私は無断でやってしまった。文句があったら作者はわたしのところへ怒鳴りこんで来るべきだろう。” 

星一はこの時すでに、この世にいませんでした。