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覆面座談会事件

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1969年(昭和44年)2月号のSFマガジン。
当時、SF界で大きな問題に発展した「覆面座談会日本SF`68`~69」が掲載されました。
これは、福島編集長はじめ5名の関係者による名前を伏せてのSF作家を批評する座談会でした。

内容は全体的にはとても厳しい作品評であり「こんなことでは世界のSFに追いつけない」という内容です。
座談会の小見出しです。
・進化した星新一
・小松左京=一九六八、日本、世界
・時代と踊る筒井康隆
・眉村卓期待にこたえるべし
・世界に冠たれ無常SF(光瀬龍)
・SF作家プロパー(豊田有恒)
以下省略

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発言者名は伏せていますが、
【星新一に関して】
「去年いちばん目だった作品は。ぼくは星新一だ…去年は驚くべきことに6冊出している…「マイ国家「おせっかいな神々」「進化した猿たち」…今までは面白い話を書こうという意識しかなかったのに、書いているうちにすごいものが出てきたという感じだ。原思想者とでもいうか、そういう凄みが出てきた。どうも、せっかくの匿名座談会で、ほめてばかりいるのはつまらんね…」
こんな感じで、内容は書き切れないけど、とにかく褒めています。

【小松左京に関して】
昨年出した「継ぐのは誰か?」「見知らぬ明日」を例にとり、初期のナイーブさがなくなっている。小説としては退化している。データを生のまま放り出しすぎる。

【筒井康隆に関して】
時代と寝ている、時代に踊らされている。

【豊田有恒に関して】
通俗の極みだよ。何とかでゴザルといえば時代が出ると思っている。
文章にあまり品がないところは小松左京に似ている。

ここで取り上げられた作家達は、SFマガジン編集部に抗議文を提出しました。
星新一は、「飼い犬に手を咬まれる」という諺はあるが、まさか「飼い主が犬に咬みつくとはね」と皮肉った。

福島編集長は、大揉めに揉めたこの座談会の責任をとって職を辞任した。
福島編集長はSFマガジン8月号で退社の挨拶文を載せた。

「それでは一応さようなら」と題し、「批評を嫌い、批判されたことを恨み、未練がましくあげつらう精神で、いったいなぜ、SFが書けるか。多少の批判をされたからというので、気落ちして書けなくなるような、そんな女々しい人間は、もともとものを書くべきではなかった。そんな弱々しい作家は、消えてなくなればいいのです。」と批判した。

当時のことを詳しくは知る由もありません。徐々に機運が高まりつつあるSF。さらに作品の質を高め、従来の小説に肩を並べるため、福島編集長も必死だったのだと思います。
いつもSFのことを考え、SFの将来を案じてのことだったのだろう。
日本SF界にとって無くてはならない人でした。

SFの行く末を案じ、誰もが「世界に誇れるレベルの日本SF」を確立したいという思いがあり、そして作家たちは身を削る思いで作品を書き上げている。
日本SF界の過渡期に起きてしまった後味の悪い出来事だったのだろう。

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