始まりは…

〔SFの始まりは…〕
19世紀初頭、フランスの小説家、劇作家のシラノ・ド・ベルジュラック(1619年~1655年)の「月世界旅行記」「太陽世界旅行記」がSFの起源といわれています。

SF小説の定義としては「科学的知識を基にした幻想的な設定で未来の世界を描く小説」などと説明され、サイエンス・フィクションとも呼ばれましたが現代ではSF小説という名称が定着しています。
有名な作品では、H・G・ウェルズの「タイム・マシン」 「宇宙戦争」 、ジョナサン・スウィフトの「ガリヴァー旅行記」等々。H・G・ウェルズの「宇宙戦争」 は、「火星人襲来」というタイトルでラジオドラマとして流され「宇宙船の中から火星人が現れ、ニュージャージー州の田舎の住民40人が殺害されたされた…」というその生々しい放送に住民がパニックになたというエピソードが有名です。

〔日本のSF…〕
日本では昭和60年代前後から本格的にSFが書かれ始めましたが、科学の急速な進歩に追いつき追い越せと「科学的知識を基にした幻想的な設定で未来の世界を描く」などという小さな枠には収まりきらない過去現在未来、ミクロからマクロ、深く人間の心理の奥底まで広がり、それは純文学が陥った文学で人間を描くなどという狭いガラパゴス的世界感から文学の手法を用いて社会的、精神的、宇宙的、時間的広がりの中で人類の行く先を描くという壮大な分野に発展していきました。それをSFの拡散と浸透の簡単な比喩を用いて表現するならば、ビッグバーン的な劇的進化ともいえます。
その日本おいて、海野十三(うんのじゅうざ)」というSFの先駆者がいました。昭和初期、まだその当時は科学小説と呼ばれ、探偵小説や推理小説の一変異体的な扱いであったと思います。まだ日常生活ではテレビなどの電化製品もなく、宇宙開発どころか自動車だってまだまだ一般的ではありませんでした。そんな時代に、その当時の科学知識を駆使してSF作品を発表していた海野十三の熱意があったからこそ、60年代の本格的日本SFの夜明けを迎えることができた。その礎として忘れてはいけない作家のひとりだと僕は思います。


〔僕にとってSFは…〕
昭和36年、大東亜戦争が終わり16年が過ぎた夏、僕は生まれました。
フォークソングの一節にある「戦争を知らない子供たち」などという言葉さえ既に古臭く感じるほど、パーッと弾けだした世代です。
世の中は高度成長期の上り坂にあり、テレビ、冷蔵庫、洗濯機やマイカー、新幹線、月面有人着陸、大阪万博、太陽の塔、科学技術の新たな進歩により生活は右肩上がり、そして工場乱立による公害問題、人口の急激な増加等々、社会的価値観も大きく変貌し、僕らが育ってきた世の中はまさにSF社会の後追い的なバラ色と暗黒の入り交じった社会が見え隠れする時代でした。大好きなテレビ番組を思い起こせば、古くはジャイアントロボ、大怪獣シリーズのゴジラ、大魔神。現代も色あせずに続いているウルトラマン、仮面ライダーシリーズが始まり、その傍流的ヒーローとして、ミラーマン、レインボーマン、ライオンマン、アニメではエイトマン、スーパージェッター、鉄腕アトム、マジンガーZ、サイボーグ009、デビルマン、宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、海のトリトン、新造人間キャシャーン、パーマンやドラえもんまで今に続くSFヒーローが続々登場した時代です。

SF界においては1957年、星新一が、夜空に突如として煌めきだした超新星のように、処女作「セキストラ」で商業誌デビューし、たちまちに職業作家に。筒井康隆も小松左京もまだ誰もいなかった世界に星新一が現れ、日本のSFの歴史が始まったのです。そんなSFに僕が出会うにはまだまだ先のこと。その出会いまでに、星新一はたくさんのショートショートを生み出し、更にはエッセイ集の数々を上梓しました。
筒井康隆の傑作、バブリング創世記の冒頭「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、ドンドコドン、ドコドンドンとドンタカタを生む…」のように、SF界でも星新一に続き小松左京、筒井康隆、眉村卓、豊田有恒、平井和正、横田順彌、かんべむさし、新井素子、アニメ界では手塚治虫、永井豪、石ノ森章太郎、藤子不二雄…次から次へとSFの裾野は広がり、小説に留まらずアニメや音楽の世界にまでSFは拡散し続けました。
その作品の数々がその後の僕の人格形成にどれほどの影響を与え続けてくれたことか。


このブログでは、星新一作品を中心にその他、SF界に綺羅星のごとく散らばる作品の数々を手に、思い浮かんだことや心を動かされたことなど徒然なるままに書いていきたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました