SF作品における終末論

大東亜戦争が終わり、昭和30年代になると、世の中は急速に復興し、政府の経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言されるほどに日本は立ち直りました。

国民は浮き足立ち「これからは良いことばかりがある」
収入が増え、科学は進歩し、長寿社会、宇宙開発…
こんな未来、あんな未来も。
国民もマスコミも、世の中すべてが
「バラ色の未来」を夢見ていた時代といえるでしょう。

そんな風潮に辟易していた星新一は、
『未来はもはや過去のものである』という名言(迷言)を残しています。

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その浮き足立った未来礼讃も、昭和45年に開催されたバラ色の象徴「大阪万博」をピークに、急速に冷えていったと言われています。

高度経済成長の陰に大気汚染、土壌汚染、薬害問題、人口増加、過密都市…様々な歪みが生じてきた時代です。

食品添加物など、食べ物も含めた複合的公害について問題提起をした小説。有吉佐和子の「複合汚染」が出版されたのもこの頃です。

1979年(昭和54年)刊行
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急速に発展を遂げた日本は「暗黒の未来」「終末論」へと傾いて行きます。

その様な世相の中「ノストラダムスの大予言」(五島勉著)はベストセラーとなり、人類は1999年7の月、恐怖の大王アンゴルモアが空から降りてきて、世界は滅亡するという予言に、日本中が踊らされました。

1973年(昭和48年)刊行
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恐怖の1999年が無事に過ぎた時、僕を含めた多くの人達は「なんだ、何にも無かった」とほっとしたはずです。
それほど、世の中を飲み込んだ作品でした。

SFにとって世界の終焉、人類滅亡はお得意のテーマです。

小松左京はあくまでもシリアスに、人類滅亡を深刻で壮大なテーマとして、最新の科学理論を駆使して人類滅亡の世の中にあっての、人間の生き様を描きます。
「復活の日」

筒井康隆は、得意のドタバタです。そこで繰り広げられる人間模様、その偏執狂的なタッチで、醜さや傲慢さ勝手さをトコトン掘り下げます。

「2001年暗黒世界のオデッセイ」
著者が2001年の未来へ紛れ込んでのルポルタージュ風の作品。
1974年に文芸春秋に掲載された作品で、ここに描かれた社会が僕にとっての「暗黒の未来」のイメージとなりました。

1970年代に描かれた21世紀の未来は、日本においては予想が外れ、人口減少(少子高齢化)が社会問題となっています。様々な病気の治療法が確立された反面、ガンや精神的病は随分増えているようです。

排気ガスの空は随分きれいになり、携帯電話やインターネットなど様々な夢が実現しています。
その弊害として、SNSでの過熱する誹謗中傷や正否が判らない陰謀論の蔓延など、この21世紀の世は、バラ色と灰色の混在した時代に思えますが、僕は人類の叡智を信じていきたい。

星新一はといえば、平易な文体で物語は淡々と進んでゆきます。
そこには恐怖や悲惨な表現は見当たりません。大上段に振りかざした文明論も、さらには人類愛も説きません。
そして、星新一は簡単に人類を滅亡させます。そこにモラルも優しさもないのが本当に怖いところです。

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星新一の短編
「おーいでてこーい」(人造美人収録)
原稿時のタイトルは『穴』でした。

この作品は、物語の99%でバラ色の未来を描き、最後の残り1%、小石ひとつで世の中の終焉を予感させるとも読める、そんな傑作です。

「終末の日」(妖精配給会社収録)
そうか、そうだよな、そうきたか!という作品です。
今回の「終末」とは少し違いますが、最後の最後の結末で「やられた」という作品です。
ネタばらしはしません。

その星新一は『人類滅亡の日』を待たず、1997年に亡くなりました。
星先生には21世紀を見て欲しかったなぁ。