著者名 星新一
出版年 1971年(昭和46年)
発行 新潮文庫
ジャンル ショートショート
収録50作品
「殺し屋ですのよ」、「マネー・エイジ」、「ゆきとどいた生活」、「肩の上の秘書」など、初期の傑作ショートショートが満載です。
星新一氏の作品群は亡くなった後も再版が重ねられ、驚異的ベストセラーとなっています。ただ、その装丁が徐々に子供向けになっていくことが、僕にとってはとても残念なところです。
星新一は、誰もが認める日本SF文学創成期の第一人者であり、ショートショートという小説の一形態を完成させた偉大な功績を思えば、氏に対する文学界の評価はあまりにも低すぎると思います。氏が生涯手にした文学賞は「日本推理作家協会賞」だけです。亡くなった後に、日本SF作家クラブがその業績を讃え「日本SF大賞特別賞」を贈っているがそれじゃ本人は報われないよ。なぜ、元気なうちにあげられなかったのかなぁ。SF界は何をしていたんだろう。
日本SFのはじまりはプロの作家は星新一氏だけでした。星新一が切り開いた世界に、後から才能ある作家たちが集まってきたことを思えば、もっとその業績を褒め称える方法は幾らでもあったはずです。不思議であり残念でもあります。新潮社発行の星新一名義の作品集の多くのデザインを手がけた真鍋博画伯や角川文庫版をデザインした和田誠画伯は、それぞれ名声を得、社会的評価を得ていきましたが、星新一に対する文壇での評価はどうだったのだろうか。
「わたしは、真鍋画伯や和田画伯の作品につまらない文を添えている星という者です」などと自虐的な挨拶をしていたらしいです。氏の気持ちはこのエピソードからも想像がつくのではないだろうか。
次に、どうして文庫本のタイトルは「ボッコちゃん」となったのか。単行本の表題作のタイトルは「人造美人-ボッコちゃん-」でした。
ボッコちゃんというのは、作品の主人公の女性ロボットの名前ですから、最初から「人造美人-ボッコちゃん-」などとせずに「ボッコちゃん」でよかったと思います
これについては、星新一氏が書いていることですが「その当時、ダッコちゃんという、腕に挟んで遊ぶビニール製の人形が大ブームとなっていました。本の出版にあたり、ブームにあやかったと思われたくないから「人造美人」というタイトルにした」ということです。そして文庫化される頃にはダッコちゃんブームもおさまっていたため本来の「ボッコちゃん」というタイトルで出版したのだということです。ダッコちゃんよりもボッコちゃんの方が先だったんですね。
星新一は晩年、作品が古びないように度々手直しをしていたといいます。古くなった表現を現代でも違和感のない言葉に差し替える作業です。
ボッコちゃんを例にとると、
「のれんに腕押しのようで」を
「いつも、もう少しという感じで」というように。
僕らの生活でも、電話のダイヤルを回すや家族のチャンネル争いなど。
時代は進み、技術革新により使わなくなる言葉は沢山あります。逆にその時代の雰囲気を醸し出す言葉もあります。これを直していたらきりがない。それは文字、言葉で表現する小説などの宿命でですね。
そのためなのか、星作品では江戸時代の殿様の日常を描いた時代物でさえも、今の日常の言葉で綴られています。とても読みやすいけど、これは星作品だから許されるのだろう。「鬼平犯科帳」を書いた池波正太郎などであったら、それこそ「ボケちまったか」と大騒ぎになるところだ。
さらにおすすめの点は筒井康隆氏による解説です。
星新一の小説作法やばか話や逸話など、それらを全て総合し、「それが理解できるのは僕を入れて2、3人しかいない…本当は僕以外の誰にわかるかと言いたいところだが、そうは言わない。いやらしくなるからである」などなど。
とても素晴らしい解説です。これは必読です。



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