SF界に伝わるちょっとおもしろいエピソードをかき集めてみました。
徐々に充実させていきますのでご期待ください。
SFサッカークラブ
小松左京が予約をとったという、SF作家クラブの親睦旅行でのできごと。
旅館の前には「歓迎SFサッカークラブ様」と看板が掲げられていました。
到着した一同は大爆笑し、出迎えた仲井さんも星新一や小松左京を見て不審そうな顔をしていたといいます。到底、スポーツなどやれそうもない中年体型のおじさんたちばかりですから。
これは、みんなを楽しませるため、小松左京が仕組んだことだったのかもしれませんが楽しいエピソードです。

【茨城県東海村日本原子力研究所を見学】
星新一が守衛さんに言った言葉が伝説的に残っています。
「はらこつとむさんに会わせてください。」
守衛さんは意味が分からず「はぁ?」と答えると、
「あそこに、原子力研究所と書いてありますよ。」
守衛さん「あれはげんしりょくと読むんです。」
と真面目な顔で応対したといいます。
星新一が研究員に「原爆は作らないんですか」といたずらに質問すると、
研究員は「非核三原則が…云々」と作れないことを丁寧に説明する。
さらに光瀬龍が、「何だ、原爆の一つも作れないのか」というと、
研究員は「何ですか!…作ろうと思えば明日にでも作って見せます!」
と若い研究員は怒りだしてしまったといいます。
とにかくみんな若く、イタズラ好きで、発想が突飛なSF作家だったんですね。
随分あちこちで、迷惑をかけたことでしょう。
【日本SF作家クラブ】
日本SF作家クラブは職能団体にはしたくない。という星新一の意向が反映して、規約は作らず入会は全員一致が原則だっtそうです。
仲良しクラブという性格から、冗談半分の不文律ができた。
馬はだめ。
宇宙人はだめ。
星新一より背の高い者はだめ。
身長190cm の田中光二が入会してきた時は、「足を詰めたら入会を認める。」などと言われたそうです。
挿絵師たち
星新一担当のイラストレーターは、
真鍋博氏と和田誠氏。
絶対に欠かせない二人だったといいます。
新人の頃、他の画家に挿絵を依頼したところ、ネタばらし的な挿絵だったため、大変苦い思いをしたという経験があり、それからはこの二人が専属となっているそうです。
星氏は、イラストレーターが挿絵を作成する時間も考慮し、最低でも締切の4日前までには作品を仕上げて編集者に渡していたといいます。
その位挿絵を重要視していたし、二人を大切にしていました。
星氏が二人の挿絵に注文したことは「時代を感じさせるものは書かないこと」だけでした。
真鍋博氏は、1932年愛媛県の生まれ。多摩美術大学を卒業しています。
抽象的で洗練された画風が特徴で、星新一の作品をはじめ、筒井康隆などS的な作品に多くのイラスト、挿絵を提供していました。
特に、星新一氏とは名コンビとして有名で多くの作品を描いています。その挿絵の数々から選び抜いた作品と星新一の小説の文章を抜き出し、一冊の本にまとめた「真鍋博のプラネタリューム」という本もあります。
2000年(平成12年)、星新一が亡くなった3年後、68歳でお亡くなりになりました。
和田誠氏は、1936年大阪府の生まれ。多摩美術大学を卒業しています。
星新一の作品挿絵や週間文春の表紙、丸谷才一、村上春樹の作品などを手がけていました。
他にも「快盗ルビー」「麻雀放浪記」などの映画監督という意外な一面もあります。
奥様はシャンソン歌手の平野レミさん、テレビでよく見かける料理研究家といったほうがなじみがあるかもしれません。
イラストレーター、映画監督、グラフィックデザイナー、音楽プロデューサーなど、とても多彩な方でした。
2019年(令和元年)、83歳でお亡くなりになりました。
僕個人としては、真鍋博氏のイラストが近未来的だったり、怪しげだったりしていて好きですね。和田誠氏のイラストは何となく子供向けに思えます。イラストで物語の印象も変わってくることもありますから。
いずれにしても、星新一の小説は、優秀なイラストレーターとの出会いでさらに素晴らしい作品に昇華していることは間違いないことでしょう。
SF界の迷言集
この界隈では有名な迷言の数々をご紹介いたします。
そして、必要ないけど少し僕なりに解説します。
なにが面白いのか分からない人には分からない世界観です…
①命短し襷に長し…星
👉「命短し恋せよ乙女」+「帯に短し襷に長し」の造語です。
人間の命は長いようで短いものだ。光陰矢のごとし。ノンビリ過ごしていてはあっという間に年老いてしまう。と言ったって、まぁ、襷(タスキ)よりは長いからそこまで慌てることはない。安心しなさい。
②弘法も木から落ちる…星
👉「弘法も筆の誤り」+「猿も木から落ちる」の造語です。
弘法とはご存知のとおり、弘法大師(空海)のことで、空海はとても字が上手かったのです。
そして、猿は木登りが得意です。
それぞれ自分の得意分野がある。そこをわきまえず木に登ったりすれば、あの空海でさえ木から落ちたりします。猿じゃないからね。
③点棒だと思うから腹が立つけど、金だと思ったら腹は立たない…星
👉SF仲間は、よくあまり上手くないマージャンを馬鹿話をしながらやっていたそうで、そんなとき負けが嵩んだ星が悔しさ紛れに発した言葉です。
④庇を借りて母屋を乗っ取ってやる…不詳
👉迫害されていたSF作家の心意気です。がんばれ!
⑤一姫二太郎三なすび…筒井
👉「一姫二太郎」+「一富士、二鷹、三茄」の造語です。
出産に関する縁起の良いことの例えと、正月の初夢ベスト3です。
一番目に生まれるのは「女の子」が良い。手がかからず育てやすいから。
二番目は「男の子」。家の跡取りですから、甘やかして甘やかしてとことん自分勝手に育てます。面倒はしっかり者の「長女」が見てくれます。
三番目はとにかく元気ならよい。どうせ養子に出すか、集団就職で東京に移り住むんだから。
家を出れば食い扶持も1人分浮く。だからなんでもよい。「ナス」でもなんでもよい。漬物にしても、油で炒めてもとてもおいしい。夏の栄養はこれだけでよい。
⑥飼い犬に手を噛まれるという話はよくあることだが、飼い犬のほうが、飼い主に尻を噛みつかれたようなものだな…星
👉SFマガジン(昭和44年)誌上で行われた『覆面座談会』での有名な事件。
福島正実編集長はじめ、参加した人たちが、仲間のSF作家を次々とほぼ全員を酷評したことをキッカケに、作家との関係は最悪となり、編集長を辞任することとなった事件です。
その時に発した星新一の言葉です。
言い得て妙とはこのことです。
因みにこの座談会で星新一のみが褒められていたといいます。
このジョークで怒り心頭の作家たちの心がやや収まったといいます。
⑦所長の『はらこ つとむ』(原子力)さんに会わせてください…星
👉SF作家クラブの旅行で訪れた東海村原子力研究所で、入口の守衛をからかって言った言葉です。
守衛は「はらこ つとむ?」「所長はそんな名前じゃありません」
この冗談は守衛には通じなかったそうですが、星新一はお構いなしで非常識なことをズバズバ言います。
⑧未来はもはや過去のものである…星
👉バラ色の未来論がブームの頃、そんなインタビューが度々あり、とうとう嫌気が差して発した言葉です。
「未来論」はSFの大きなテーマの一つです。
日本SFの黎明期、世は高度成長期。科学的な進歩で人々の暮らしは大きく変化しました。
家事家電は主婦の仕事の手助けを行い、朝4時ごろからの炊事、洗濯の負担をなくし、ボタン一つで何でも用が済みます。
余った時間はレジャーへ。その頃からサラリーマンの給料も増え、休日にはマイカーで家族旅行や、行楽地へ。日本人みんなが浮かれていた時代にあって、天の邪鬼の星新一が発した言葉です。
確かにその浮かれた世相の闇の部分には、公害問題、薬害問題、教育問題、若者の自殺など、人々の心の奥底の闇がしだいに広がりだした時代でもあります。
そう「バラ色の未来なんてもう、過去のものだよ」
⑨涙隠して尻隠さず…星
👉「頭かくして尻隠さず」のパロディーで「涙かくして尻隠さず」という造語です。
ディズニー映画のアニメーションで良くあるシーン。ドナルド・ダックが大きなベッドの大きな枕に頭を包みこんでもお尻は丸見えの状態にある。これがオリジナルであるが、星新一はその豊富な知識を頭の中でドバーッとひっくり返して訳の分からない、でも抱腹絶倒のおかしな言葉を合成してしまう。
「涙かくして尻隠さず」。なんてオモシロい。でも何がオモシロいんだ。
⑩狂気の沙汰も金次第…筒井
👉「地獄の沙汰も金次第」と「狂気の沙汰ではない」がオリジナルです。
筒井康隆らしいと言えば筒井康隆らしい。転んではいないけど、転んでもただでは起きない筒井康隆は、エッセイ集「狂気の沙汰も金次第」のタイトルに使用しました。
⑪そこのけ山の手電車が通る…不詳
👉「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」小林一茶の俳句です。
「そこのけ山の手電車が通る」…電車に轢かれたくないならそこを御退きなさい。という意味かな。そのままだけど、季語はどこにある?
⑫親子三人猫いらず…不詳
👉「家族水入らず」+「猫いらず」の造語かな。
「親子三人猫いらず」…ちょっとこわい。
⑬暑さ寒さも胃癌まで…不詳
👉「暑さ寒さも彼岸まで」
「暑さ寒さも胃癌まで」…確かにその日を越えたらこの世におらぬ。
⑭雀百までわしゃ九十九まで…不詳
👉「雀百まで踊り忘れず」+「お前百までわしゃ九十九まで」の造語です。
「雀百までわしゃ九十九まで」…ホントに、そこまで踊って入れたら本望だ。
でもよくよく考えれば、そんなに長生きして本当に幸せだろうか。
人は独りでは生きてゆけない。高齢になり誰かの世話になる。それが子供たちだったら、申し訳ないと思う歳になりました。子供たちの生活もある。世界一の長寿者インタビューを見ると、面倒見ているのは年老いた孫娘だったりします。
筒井康隆ご夫妻は、ふたり仲良く老人ホームに入られたそうです。いつも一緒にいたいからと、話されていたそうです。
⑮仏の顔も三度笠…不詳
👉「仏の顔も三度まで」+「三度笠」の造語です。
昔話に、六地蔵に雪が積もっては寒かろうと、三度笠を被せてあげて良いことが起こった、などというものもありました。「日本昔ばなし」のほのぼのさが懐かしい。
これ以上の解説は要らないね。SFがまだまだ日本に根付かず、商業的にも苦戦を強いられていた当時、若きSF作家たちは身を寄せ合って、このようなバカ話をしながら夢に向かっていたのだろう。
覆面座談会事件
当時、SF界で大きな問題に発展した「覆面座談会日本SF`68`~69」がSFマガジン(1969年2月号)に掲載されました。
これは、福島編集長はじめ5名の関係者による、名前を伏せてのSF作家を批評する座談会でした。
内容は全体的にはとても厳しい作品評であり「こんなことでは世界のSFに追いつけない」という内容です。
座談会の小見出しです。
・進化した星新一
・小松左京=一九六八、日本、世界
・時代と踊る筒井康隆
・眉村卓期待にこたえるべし
・世界に冠たれ無常SF(光瀬龍)
・SF作家プロパー(豊田有恒)
以下省略
【星新一に関して】
「去年いちばん目だった作品は。ぼくは星新一だ…去年は驚くべきことに6冊出している…「マイ国家「おせっかいな神々」「進化した猿たち」…今までは面白い話を書こうという意識しかなかったのに、書いているうちにすごいものが出てきたという感じだ。原思想者とでもいうか、そういう凄みが出てきた。どうも、せっかくの匿名座談会で、ほめてばかりいるのはつまらんね…」
こんな感じで、内容は書き切れないけど、とにかく褒めています。
【小松左京に関して】
昨年出した「継ぐのは誰か?」「見知らぬ明日」を例にとり、初期のナイーブさがなくなっている。小説としては退化している。データを生のまま放り出しすぎる。
【筒井康隆に関して】
時代と寝ている、時代に踊らされている。
【豊田有恒に関して】
通俗の極みだよ。何とかでゴザルといえば時代が出ると思っている。
文章にあまり品がないところは小松左京に似ている。
ここで取り上げられた作家達は、SFマガジン編集部に抗議文を提出しました。
星新一は、「飼い犬に手を咬まれる」という諺はあるが、まさか「飼い主が犬に咬みつくとはね」と皮肉った。
福島編集長は、大揉めに揉めたこの座談会の責任をとって職を辞任した。
福島編集長はSFマガジン8月号で退社の挨拶文を載せた。
「それでは一応さようなら」と題し、「批評を嫌い、批判されたことを恨み、未練がましくあげつらう精神で、いったいなぜ、SFが書けるか。多少の批判をされたからというので、気落ちして書けなくなるような、そんな女々しい人間は、もともとものを書くべきではなかった。そんな弱々しい作家は、消えてなくなればいいのです。」と批判した。
当時のことを詳しくは知る由もありません。徐々に機運が高まりつつあるSF。さらに作品の質を高め、従来の小説に肩を並べるため、福島編集長も必死だったのだと思います。
いつもSFのことを考え、SFの将来を案じてのことだったのだろう。
日本SF界にとって無くてはならない人でした。
SFの行く末を案じ、誰もが「世界に誇れるレベルの日本SF」を確立したいという思いがあり、そして作家たちは身を削る思いで作品を書き上げている。
日本SF界の過渡期に起きてしまった後味の悪い出来事だったのだろう。
人間なんて糞袋だ
【人間なんて結局は糞袋だ】
小松左京が対談か何かの時に口にした言葉です。
彼がこの境地にたどり着くまでには、どれほどのツラいことがあったのだろうか。
この言葉は、表現が強いので様々な受け止め方があるようです。
禅に由来する言葉らしいのですが、禅の言葉であれば、解釈も様々であって当然です。
僕はこの言葉に救われます。
人間ですから、生きる上で失敗や過ちを犯し、結果、自信をなくしズーンと落ち込んで、生きていく自信を無くすこともあります。
順風満帆の大海原ならそんな落ち込むこともないのですが、いろいろある訳です。
そんなとき「そんなに落ち込むなよ、自分を追い込むなよ。どうせみんな、勝ち組も負け組も、どんなに粋がってる奴だって、突き詰めれば糞袋が歩いているようなものだから。おんなじだよ…」
【金歯は抜いたか】
これは小松左京のお子さんが亡くなって悲しんでいる時、星新一が小松左京に向かって言った言葉だそうです。
昔は死者を埋葬する時に貴金属の金歯を予め抜き取り、墓を荒らされるのを防いだことからきています。
でも、生まれたばかりの子が金歯などしているはずはない。
小松左京はこの言葉に、先輩で親友の星新一の優しさを感じ取ったといいます。
作家とは、そのような不幸さえも踏み台にして、命がけで書き続けていかなければならないものなのだろうか。
小松左京は、星新一のこの言葉を、自分へのエール(激励)と受け取ったのだろう。そして、場合によっては大きなキズを与えかねない言葉を投げかけた星新一に驚くとともに、この言葉を前向きな意味に捉えることのできる小松左京も凄い人だと思います。
普段からのお互いの結び付きの強さ故なのだろう。
小松左京は、コンピューター付きブルドーザーとの異名があります。
そのぐらいダイナミックに活動し、貪欲に情報を集め、その知識を基にSFという分野を生涯をとおして開拓しました。
1931年(昭和6年)大阪生まれ。2011年(平成23年)、80歳で亡くなりました。
「復活の日」「さよならジュピター」「首都喪失」「虚無回廊」
ベストセラー「日本沈没」では、最新の科学理論と豊富なSF的アイデアで日本列島を海の底に沈めた男です。
日本空飛ぶ円盤研究会
日本最初の空飛ぶ円盤(UFO)の研究団体
荒井欣一が中心となり、1955年(昭和30年)設立
空飛ぶ円盤に関する国内外の情報収集、講演活動、機関誌「宇宙塵」の発行を行う。
荒井欣一:旧日本陸軍航空隊でレーダー装備を担当、戦後は大蔵省印刷局勤務
顧問には、北村小松、糸川英夫、徳川夢声らがいました。
最盛期の会員は1000名以上を擁し、著名人の会員には、三島由紀夫、石原慎太郎、星新一、黛敏郎らの名前もありました。
星製薬株式会社の倒産後、星新一が心の隙間を埋めるべく当会に加入し、ここからSF作家への道が開けたのは有名な話です。
この会に集まった動機について、星新一は次のように語っています。
「今では空飛ぶ円盤という言葉自体古くなっちゃて…あの頃空飛ぶ円盤なんていったら、こいつ頭がおかしいんじゃないかっていう扱いで、マイナー中のマイナーで、それだけに会員もみんな熱心でしたね」
「僕の場合は、親父が死んだ後の会社の整理ということが、かなりの部分を占めていたし、荒井欣一さんの場合は、お嬢さんがストマイという薬の副作用で耳が不自由になられたとかで“本当に宇宙人が来てくれりゃ助かるのになぁ”なんてなにかの折りにふっと漏らされたことがありましたね…みなさんそれぞれに、なんともやりきれないものを背負い込んじゃって、その救いとかはけ口とか、そんなものもあったんじゃないかなという気がします」
※幻想文学 特集幻想SF(1985年発行) 星新一へのインタビュー「戦後・私・SF」より抜粋
SF同人誌「宇宙塵」
SF同人誌「宇宙塵」は、「日本空飛ぶ円盤研究会」を母体とし、1956年(昭和31年)その研究集会の席上で、SFの同人誌を作ろうとの柴野拓美の提案により、その当時の有志により結成された日本初の「空想科学小説専門誌」で、1957年(昭和32年)5月から2013年(平成25年)まで56年に渡り発行されました。

創刊当初は、「日本空飛ぶ円盤研究会」のメンバーである、同人誌発足の提案に真っ先に手をあげたのが星新一であり、他に斎藤守弘、光波耀子らが参加。
それ以外の初期メンバーとしては、今日泊亜蘭、矢野徹、光瀬龍、伊藤典夫、浅倉久志らがいました。
星新一の「そのころ」
「星新一作品集」の付録「星くずのかご№1」には、作家になる前の悶々とした日々を過ごしていた頃から作家デビューまでのエピソードがあります。
その一部をここに要約します。
「昭和32年、30歳。父の死後、引き継いだ会社は、巨額の負債と営業不振でどうしようもなく、整理を他人に委託した」…あっさりと書いてはいるが、会社整理を委託するまでの数年間は、借金取りが自宅まで訪れ、家族で食事をしているだけでももの凄い非難を浴び、まさに筆舌に尽くせない生活を送っていたといいます。
「整理を他人に託し、雑事から解放されたというものの、精神的な空虚さは一段と増した。前途に何の希望もない。なにをしたものか、見当がつかなかった…潰れた会社の二代目、30歳の男を雇ってくれるところなどない。友人に泣き言を並べるには、私は意地が強すぎた…いったいこれからどうなるのだろう。将来を考えるのがこわかった」
日記 1957年(昭和32年)
1月23日
カゼをひいて、うちに寝ている。「火星人記録」を読む。こんな面白いのはめったにない。
※「火星人記録」とは、現在は「火星年代記」というタイトル。レイ・ブラッドベリの作品です。
作家デビューの切っ掛けとなった運命的な夜でした。
5月30日
原稿書き。ラジオを聞く。
※デビュー作、「セキストラ」という妙な作品を書き上げた日で、SF同人誌「宇宙塵」に掲載され、それが江戸川乱歩編集の「宝石」に転載され、作家デビューをします。
「火星人記録」を読んで4ヶ月後のことです。
「セキストラ」は思い出の多い作品なのだが、作品の未熟さもあろうが、私自身、あまり好きな作品ではない。これから離れようと…つまり時事風俗的なもの、性的なものからの離脱である。
その成果のあらわれが二作目の「ボッコちゃん」で、最も愛着がある。
書き終わったとき「これだ」と叫んだ。大げさな形容をすれば、能力を神から授かったという感じである。
SF同人誌「NULL」
関東の「宇宙塵」、関西の「NULL」
SF界でこのように並び称された異色同人誌「NULL」について。
まだ、デビュー前の筒井康隆が立ち上げた前代未聞の「家族同人誌」です。

世間的には、SFという文学ジャンルはまだまだ市民権を得ていない「荒唐無稽のホラ話」という扱いをされ、「通常の文学」の同人誌のアマチュア作家たちからは馬鹿にされていた、そんな実情でした。
そんな中、サラリーマンの傍らSF作家を目指していた筒井康隆は一発勝負に出ました。
SF同人誌「NULL」の創刊です。
※NULLとは、ドイツ語で”ゼロ”を意味します。
父 筒井嘉隆 は当時、大阪市立自然科学博物館館長の職にあった動物学者でした。
この同人誌について「数ヶ月前から子どもたちが何か良からぬ相談をしていると思っていたら、突然原稿の束を突きつけ、サイエンス・フィクションを書いたから読んでみろと。どうしてこんなものを書く気になったのかわからない」とNULL創刊号に寄稿した「S・F一家ご紹介」という文のなかで述べています。
末っ子の四男筒井之隆は「兄筒井康隆の発想を奇抜だと人は言いますが、そうは思いません。ああいうアイデア、発想は昔から筒井家にはありました」
このようなすごく頭の回転が速い家族が力を合わせて立ち上げた同人誌。今までに例を見ない異例づくしの同人誌でした。
当時の一般的同人誌が、ガリ版印刷やタイプ印刷が主流の時代に、同人誌「NULL」は、家族同人誌という珍しさと、贅沢な活版印刷と読みやすいカットとレイアウト、さらに上質紙を使用するという、お金のことは二の次に、見た目の美しさと作品の質の高さで勝負を挑みました。
筒井康隆の給料が一万円の頃に、創刊号を100部印刷し三万五千円の印刷代などの経費。それを筒井本人が負担し、その後も給料、ボーナスを同人誌「NULL」に投資しました。
掲載作品はすべて家族。
動物学者の父にも原稿を依頼し、上の兄弟3人はそれぞれSFショートショートを。
末っ子の四男、高校生の筒井之隆は、同人誌のカットやレイアウトを担当、デザイン会社に勤めていた筒井康隆のアイデアもあって既存の同人誌にはない、見た目の美しさと、作品の読みやすさ、そして何より兄弟たちが持ち寄ったSF作品が素晴らしかった。
明晰な文体と卓抜したアイデア、長男筒井康隆に負けず劣らずの力作揃いでした。
それがマスコミの目にとまり家族全員でテレビ局から取材も受けました。
そしてついに筒井康隆の思惑どおり、この同人誌創刊号に掲載した「お助け」が江戸川乱歩の目にとまり、作家デビューへの道が開けました。
【創刊号の作品内容】
父 筒井嘉隆
「S・F一家ご紹介」
「ホモという動物の話」
長男 筒井康隆 25歳
「お助け」
「模倣空間」
「タイムマシン」
次男 筒井正隆 21歳
「相撲喪失」
「二つの家」
三男 筒井俊隆 19歳
「もしもし」
「投影投影」
四男 筒井之隆 16歳
同人誌のカットを担当

筒井康隆は、この同人誌「NULL」に全てを賭けました。
作家活動はしていたけれども、なかなか芽が出ず苦悩の日々が続いていました。
20代半ばになり、自分の行く末に不安を感じる。デビュー後の氏の活躍を知るものにとっては信じられないことです。
この「NULL」に発表された家族たちの作品も、長兄筒井康隆に負けず劣らずの、高水準のSFショートショートだとの評論家の評価もありましたから、是非一度読んでみたいと思うのですが、思いは叶っておりません。
星新一 生誕100年
1926年(大正15年)生まれの星新一先生は、今年2026年(令和8年)生誕100年を迎えます。
令和8年1月8日、わが家の新聞に大きく特集されているのをみてビックリしました。
さらには、SF御三家と称されたひとり、盟友の筒井康隆氏が「90歳の未来」という作品を添えていました。
久しぶりに再会し、お互いを懐かしみ、高度成長期の「バラ色の未来」の流行から、人口爆発、環境問題、飢餓問題と、みんなが一斉に暗黒の世界を描き出した時代を懐かしみながらの会話形式の短編です。
とても暖かい作品でした。
そんなあのころ、バラ色から暗黒の「未来ブーム」
”もう未来は過去のものだ”という名言で応えた星新一。
そんな世の中を俯瞰し、物事の真実といえる核心を一気につかみ取る感性が、1000編を超えるショートショートを書きあげたのだろう。
さて話はここから変わります。
著名人の場合は「生誕○○年」と銘打ったイベントをよく行いますが、何故ですかね。
「生誕○○年」と聞くと「あぁ、あの方も生きていればそんな年になるのかぁ…」
という感慨はあります。
でも僕にとって重要なのは「デビュー45周年」などの作家デビューしてから、どれほどの年月をかけて、どのような作品を世に送り出してきたのかというところにあります。
若い頃は、勢いに任せて作品を仕上げることもある。年を重ね、アイデアに対する考えの深さも加わり、同じ発想の作品であったとしても仕上がる作品は違ってくるものです。
費やした年月の間にさまざまな人生があり、得るもの失うものもたくさんあっただろう。
そのような中で、創作活動を続けることにこそ、物作りを生業とする人たちには重要なことなのではないだろうか。これは小説家に限らずです。
人間なんてたった100年を生きるのも大変なほどの短命な生物です。
今までの歳月、そしてこれから待っている年月に僕は何を成し遂げられるのだろう…
IQ178…工事中
筒井康隆の処女作「お助け」を読むと、異常に高いIQの持ち主の感性はこのようなものなのかもしれない。
一般的に高いIQとは110以上をいいますが、筒井康隆は178だといいます。
日常生活において、筒井康隆の頭はどれだけの高速回転をしているのだろうか。
