著者名 小松左京
発行年 1966年(昭和41年)
発行 講談社
ジャンル エッセイ
大変古いエッセイ集です。
特に科学の進歩の行き着く先の世界や舞台を未来に置くことの多いSFでは、エッセイに書かれるその当時の風俗やものの考え方がとても興味深いものです。
日本SFは、大東亜戦争後の日本の復興、その風景と同時期に新たな才能たちが、新たなSF作品を発表し、新しい時代を作って来た経緯があり、当時流行した「バラ色の未来」「公害問題」「人口増加爆発」「宇宙進出」など、今の時代と照らし合わせてみるととてもおもしろい。
大東亜戦争の敗戦を境に、戦前派と戦後派などと分けて論じられるほど、価値観や人生観が大きく変貌してしまった日本人。そんな大きな時代の波のうねりの中を、日本SFは歩んできました。
政治の世界でも「政治家に戦前の戦争体験者がいなくなった時が、本当の日本の危機が訪れる時だ」と言ったのは誰だったか。それほど大東亜戦争とは大きな歴史的できごとであり、ここで紹介する小松左京のSF作品も例に漏れず大きな影響を受けています。
小松左京は昭和6年生まれ。
10歳の時に太平洋戦争が始まり、敗戦の時は14歳、そして多感な青春時代を戦後の混乱期、高度経済成長期とめまぐるしく価値観の変わる中を生きぬいた彼、SF界の巨人「小松左京」は、どのように形成されたのだろう。

そんな小松先生が、戦後20年、それまでのエッセイをまとめたのが「未来図の世界」です。
「ミスターSF」と称され、SF界の王道的な作品を多く残した、その明晰な頭脳と知識量、分析力で、いったいどのような人類の未来を思い描いていたのだろう。
星新一や筒井康隆と比べ、小松左京をには何故かいつも神聖な気持ちになります。
「未来図の世界」は小松左京初期のSF的エッセイ集です。
日本SFはまだ始まったばかり。
未来の世界はどんな風景なのか。
未来人の生活はどんなものか。
宇宙進出への夢。
そして昭和75年(西暦2000年)の「あるサラリーマンの生活」を描いています。
つまり平成12年なのです。
今年は令和7年西暦2025年。昭和100年になりました。
小松左京がこの「あるサラリーマンの生活」で、40年後(西暦2000年)の世界を「未来」として思いを巡らしているのですが、昭和100年になっても、まだまだあの頃思い描いていた未来ではありません。
世界核戦争によってサラリーマンはもちろんのこと、我々人類はまだ滅亡せずに続いています。
銀河系の兄弟惑星への有人飛行は未だ実現していませんが、パソコンが普及しスマホを手にし、テレビ電話もテレビ会議も実現しています。
居ながらにして世界の状況がわかり、現金を持たなくても買い物ができます。そして、AIの急激な進化…それがあの頃から比べ変貌した60年後の今です。
でも、現在の人間は「未来人」として思い描いたそれとは全然違います。なかなか未来人になれない僕ら人類です。
未だに、カラダにぴったりのシルバーの服を着て、頭には変な尖った帽子をかぶり街を闊歩したりしていないし、自家用飛行機も、更には不老不死も手に入らず、火星への移住も実現していません。
人類は、そんな簡単に変貌することはないようですが、小松左京が思い描いたあの頃の21世紀は、霧の彼方の「未来」だったんです。
蛇足で、どうでもいい話です。
現在の妻とのハワイ新婚旅行の際、ツアーの特典の一つとして「夜空に浮かぶ星の所有権」をもらいました。
しばらくは大切にその権利書を保管していましたが、今はどこにあるのだろうか。
宇宙への有人飛行が実現していれば、その星に赴きこの星の王であることを高らかに宣言していたはずなのだが。でもあれは「恒星」だったよな。


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