お釈迦様の説いた四苦八苦の四苦、つまり生老病死のことですが、何故生まれることが苦しみなのか。
そもそも、生まれてこなければ、その後の「老病死」は無い。
「老病死」以外にも生きていれば辛いことやイヤなことが度々あります。生まれなければそんな体験もしなくて済みます。
「こんなことなら、生まれて来なきゃよかった。」「誰も産んでくれなんて頼んでいない。」
親としては聞きたくない言葉です。
そういうことなのかな?
仏教では魂の段階があると解きます。
我々は悟りの境地に達した「如来」をめざしてこの世で修行をしているといいます。
如来とは、悟りを開いた、悟りの境地に到達した仏(魂)をいい、魂レベルはもっと高い次の次元に向かいます。
(釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来)
如来の一歩手前が「菩薩」の境地です。
(虚空蔵菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩)
菩薩とは悟りを開こうと思えばすぐにでも境地にあるが、菩薩として衆生を救うという役目を担っていると言います。如来になってしまうと次の次元をめざしますから、衆生をすくことをしませんから。
まぁ、よく分からないのですが、とにかく僕たちはより良い魂になるためにこの世で辛い思いをしながら修行をしている。
これが人生だということらしい。

如来になれば最早、転生輪廻のサイクルから外れるため、人間に生まれることなく、さらに高次元の世界で修行することになる。
霊界(天国)に比べたらこの世は、邪悪と正義と金持ちと貧乏と差別と聖者と俗物と病気と災害、妬み裏切り暴力略奪支配…
そんな世界から逃れる唯一の方法が解脱すること。つまり悟りです。
そのように考えれば、生まれることは本当に最悪の苦悩と苦痛の始まりと考えることができます。
とは言うものの、僕も修行しているこの四苦八苦の世界、結構魅力もあります。
楽しいこともあります。居心地も悪いこともないと思ったりします。
俗な世界に慣れすぎたためなのかな。
人間は何のために生まれ何のために生き、死んでいくのか。
仏教では、生まれること生きていくことすべてが「苦」であると言い切ります。
俗物的かもしれないけど、そこには喜びがあります。
子供が生まれれば、これ以上ない幸せを味わいます。
おいしいものを食べたり、旅行、趣味、人と人との交流、苦悩ばかりではないはずです。
悠久の歳月を重ねて繰り返された「生老病死」の意味は何処にあるのだろうか。




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