漫画本で読んでいた「ドラえもん」
紙の上に描かれたドラえもんは、まだ子供だった僕の頭の中で自由自在に飛び回っていました。
紙のドラえもんには声はありません。でもドラえもんは、僕に話しかけてきてくれた。
でもあの日、テレビアニメのドラえもんの声は、大山のぶ代さんのあの独特な声…
「違う…、違う。ドラえもんの声はこんな声じゃなかった…」
あの時の落胆は、55年経った今でも鮮明に覚えています。
ボッコちゃん、生活維持省、不眠症、処刑、白い服の男…傑作を選んでのドラマ化。
人気俳優を揃え、情景や台詞も練りに練ったものだと見ていて分かります。
総力を挙げての映像化に違いない。でも僕にはものたりない。
星新一が、一文字一文字吟味して綴った、例えば「ボッコちゃん」
ドラマでは原作には無い台詞も話すし、雰囲気も違う。
映像化されたボッコちゃんは違う。
声が違う。顔も違う。全然違う。
理想のボッコちゃんは僕の頭の中にしかいませんから。
これが第一の大きな原因です。
そして次に、表現の違いです。
昔、「星寄席」というLPレコードが発売されました。若き日の古今亭志ん生らが、星作品を落語に仕上げたものでしたが、この時は、あまりにも原作に忠実で、落語としては熟れていなくて、今ひとつ面白さが伝わらなかった。
このように文字で表現される小説を、音声や映像で表現することはとても難しいと感じました。
どうしても、ファンは比べますから。
ちょっとしたニュアンスの違いを気にするもの。
原作を知らずテレビで初めてドラマを見た人は違和感なく楽しめても、星新一ファンには違和感になります。
すべての星新一作品は、書籍に収められたあの文字の組み合わせがすべてで、これ以上のものはありません。
星新一自身、作品の映像化の話が持ち上がった時には「映像化は断固反対、絶対に許さない。自分が死んだあとは仕方がない。好きにすればいい」と語っていたと言います。
それほど、自分の作品にこだわりがあり、一文一句変えてはいけない。
というスタンスだったと言います。


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