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【SF的発想のすすめ】豊田有恒/ 何事もSF的発想で臨めば人生が楽しくなる はずです きっと

 

著者名  豊田有恒

出版年  1978年(昭和53年)

発行   文化放送開発センター出版部

ジャンル エッセイ

SFのどこに魅力はどこにあるのかと問われれば、僕の答えはひとつです。

SF的発想につきます。

前にも書きましたが、SF作家のエッセイがどうしておもしろく、いわゆる純文学などの大家でエッセイが評判の大先生の、そのエッセイを読んでも心が動かないのはなぜか。

それは作家の視点、あるいは立ち位置の違いに答えがあるのではないかと。

小中学校の頃の僕は、様々な堅苦しい兄の本棚から、おもしろそうな本を内緒で拝借して読んでいました。兄はとてもケチなのか本を誰かに触られるのが嫌なのか、マンガ本でさえ中々貸して貰えませんでした。

兄が留守の時に、ソーッと忍び込み本棚を眺めて、読みたい本を借りてきていました。

その中に「狐狸庵先生」シリーズのエッセイ集があり、最初のうちはおもしろく読んでいたのですが、あるとき星新一のエッセイ集に出会い、その面白さに驚き、それ以来狐狸庵先生からは遠ざかりました。

違いは何なのかを考えました。そこで見えてきたひとつの特徴はこのようなことです。

狐狸庵先生は「ぼくはこんなに変なんだ。だめなところがこんなにあるんだよ」的な文章が多い。

星新一のエッセイは真逆の視点で語られることが多いのです。

つまり自分のいる今のこの時点から、現在過去未来を眺めていて、素直にそこに見えてくるおかしなこと、不思議なこと、浮かび上がるさまざまな問題点をエッセイとして書き残しています。

中学生だった僕にはそれが新鮮で、僕の中にも、ポジティブに世の中を見つめる目が動き出したように思います。

  

この本はSF入門書から始まり、SFの書き方、作り方そしてSF作家評論、SF論、歴史SF、SF的文明論、SF的文化人類論と舞台は広がり、飛び跳ねて、どうにも忙しいエッセイ集です。

時代は70年代も終わりに近づき、SFというジャンルも随分、社会に浸透し、一般的になってきたころではないだろうか。

SF小説は「SF方言」と言われる、通常の小説では出てこない単語、風景、考え方があり、そのことが最初の壁になっていました。

なので、SFを広めるにあたって「SF入門」など、SF方言の解説から入るという、他の文学ジャンルには無い「SF宣教師」みたいなことをSF作家たちは行っていました。

60年代から70年代にかけて、SF作家はこぞって「SF入門」という入門書を書くことから始めていたようです。

でも、豊田有恒がこの本を書いた頃は、ほぼ宣教活動も終わりを告げ、一般的読者はそのような教本なくして、SF作品を読める時代になってました。

そのような観点から、この本はSF入門書のパロディととれなくもありません。

あれもこれも詰め込んだSFの玉手箱のようであり、今となってはとても懐かしく郷愁までも醸しだす一冊です。

あーっ、懐かしい。

 

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